無職ダメな人の末路

人生消化試合。貯金680万でセミリタイア中。残りの人生を悔いないように生きるのみ。この世に飽きたら死にます。

自分の歩んできた道を振り返る【ひきこもり脱出・ショック療法】

2000年にひきこもりだし、2001年の春を迎えようとしていた。

貯金も尽きつつあったしさすがに一年以上は無職でいる事は許されない状況になっていた。それは自分自身でも理解してたので春が近づくにつれ焦りが日に日に強くなっていったように思う。

何かしないとダメだ。このままだとダメだ。

でも今の状態で働くなんて到底考えられない。

この状態で就職出来たとしても長くは絶対に続かない。

何かしなきゃ。


貯金が20万を切り出した。5月でちょうどひきこもり1周年をむかえる。そこがタイムリミットだ。あと2ヶ月くらいで抜けださなければ。。。

そうだ!オフ会に行こう!という事になった。

この一年間、人と会話というものをしていなかったので昔から気になっていたオフ会なるものに参加して自分と同じような状況にある人と話したら何か変わるかも?自分の中でひとつ殻が破ることが出来るかも?と思いでいた。ショック療法ってやつ。

いろいろとその時期に開催されているオフ会募集を片っ端から調べてみた。でも対人恐怖にもかかわらず40人のオフ会開催とかあったけど。。。こわいこわい。人とまともに話せないのにそんなの正気の沙汰じゃないわ。

という事でひとつだけ気になったオフ会が見つかる。ぱぴさんのサイトのオフ会。なんか凄いひきこもりの人がいて35歳くらいで重度のひきこもりの人が一ヶ月前くらいにそのサイトのオフ会に参加していてさ。その人はweb日記も書いていてそれを読んでみると凄い重度って分かるような内容だったのよ。この人がいけるんなら私もいけるかなと思って参加してみた。

最初は凄い緊張してたし参加メールを送るのも締め切りギリギリになるまで悩んで出そうかなやめようかなって事を繰り返していたのを覚えている。締め切りギリギリになって出さなきゃ始まらないから勇気を振り絞ってエイヤーって清水の舞台から飛び降りる気持ちで参加者メールを出した。

場所は茨木市駅前。

その待ち合わせ場所にいくと誰もいなかった。電話してみると寝てたとのこと、今から行きますわと言われて待つこと10分くらいで自分より若い男の子がやってきた。私より3つ下でHNは脱ダメ人間さん。そして車の助手席に乗って。。。なんだこれ?参加者は、サイトの管理人さん、キャストさん、脱さんと私の四人だった。オフ会は昨晩からカラオケオールしてて朝方にさっきまで寝てて私の電話で起きたとのこと。最初からなにがなんだか分からない状態。

とりあえず最初は喫茶店みたいなところで4人でお話したような気がする。自分の話をしたのかどうか忘れたけど、まあ、自分にとっては心地よかったんだと思う。だからこの後も何度もここのオフ会に参加したんだろうね。社会生活で生きづらくてうまくいかない人が大半のような感じ。この時期はニートって言葉がなかったけど、ひきこもりっていうよりニートに近い状態の人が多かったですかね。

ニートは働く気がない人っていう意味で、働きたい気持ちはあるけど働けないって人が多かったと思うので厳密にいうとニートではなかったんだけどね。あとこのオフ会で、管理人のぱぴさんからweb日記を書いてみませんか?と誘われるこのサイトは、掲示板とかと別にいろんな人の日記が読めるってのがコンテンツとしてあって、まあ勧誘されたって感じでしょうか。

最初は、日記なんて私も書いたことないし昔から文章を書くの苦手だし国語苦手だし無理やろと思って断っていたんだけど。まあ、書いてくださいよって言われて、続かないと思うけどって事で書き始めたのが2001年4月頃。さるさる日記で日記を書き始めて途中でえんぴつ日記に移ってその後にライブドアブログに移動する。

2001年からだから日記を書き始めてもう18年目に突入しているんですよね。最初の何年かはアクセス数は毎日30くらいでしたよ。5年くらいはアクセス数も100もなかったと思う。それでも書き続けてたってことはその当時は書く事が楽しかったんだと思うんですよね。書いてそれに対して反応してコメントがついてくれる。それだけで楽しかったと思うんですよ。【2018.9.10】

自分の歩んできた道を振り返る【ひきこもり時代】

私の中では2000年のひきこもりした年が自分史元年だと思っています。

それまでは自分で自分が分かっていませんでした。何の根拠もなしにずっと普通にやっていけると思っていたんですからね。孫子の兵法で「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」という名言があります。今まで自分のポンコツさを理解しなさすぎたのです。自分の中の問題を無視して時間の流れに身を任せてきたそりゃ溺れますよね。

2000年で開眼したわけではないです。自己分析はしたけどこんなスペックで生きていけるとは到底思えませんから。私が引き篭もってた時に何をしていたかというとインターネットをしていました。2000年からパソコンを購入してインターネットをひいてメールとかチャットとかしていたんですよ。時はダイアルアップ!

田舎なのでテレホーダイとテレチョイスを使っていました。午後11時から午前8時まで定額料金なので。。。私は完全に昼夜逆転して夜中から朝にかけてずっとチャットしてたわけです。でも相手は普通に働いている人かもしれない。相手にどんな仕事をしているの?って聞かれたら前職を答えていました。

なのでずっと同じ場所でチャットをしていると変な人と思われるので、時間帯ごとに移動していました。チャットってリアルタイムってわけじゃないじゃないですか、タイムラグがあるのでそこそこうまくいくんですよね。会話だと全くダメなのにチャットだとそこそこやっていける。夢中になりましたよ。毎日のように午後11時から午前8時までチャットしていましたからね。

そのうち仲良くなるとオフ会しようという話になります。でも困るじゃないですか。。。リアルタイムにあうなんてさ。チャットではしゃべれるけどリアルタイムだと、しゃべれないんだから。。。なのでそのつど断っていました。なのでその時にオフ会という存在を知ったわけです。

チャットをしていると、個人的に簡易チャットで話すこともあります。最初はICQ、そのうちMSNメッセンジャーとかでね。そしたら相手が突然、打つのめんどくさいので通話しない?って言ってきたんですよ。

女性ですよ。えええええええ!じゃないですか。
女性と通話なんて。。。
午前4時くらいに女性と通話したんです。
ほとんど女性とまともにしゃべるなんて始めての経験ですよ。
今まで生まれてから挨拶くらいしかしたことないのに、女性と通話ですよ。
2つ下の大阪の子。
「あんなー」って。。。また大阪弁が可愛い。
声も可愛い。
しゃべっただけで惚れちゃいますよね。
いや。惚れました。
会話なんて大丈夫かな?おかしくないかな?
一年くらい人としゃべってないのに大丈夫かな?と思いましたがなんとかその日はしゃべれました。
あのドキドキ感は今でも忘れられません。


ひきこもってた時期にインターネットと出会いこれは大きかった!これがなかったら僕はこの世にすでにいなかったかもしれません。しかし斎藤環も古いよね。私がひきこもってた時期からおったからなあ。

ニュースタートは1998年くらいからやし。ちなみにこの時期は、籠城、佐々のページ、ぱぴさんのページ、対人恐怖症のページ、2ちゃんにいたよ。 それ以外はいろんなチャットですかね。メンタルサイトが多かったですかね。【2018.9.10】

自分の歩んできた道を振り返る【ひきこもり時代に自己分析】



私がブログを書く理由。

もう少しだけ待ってください。近づいてきました。仕事を退職して家にひきこもります。親には資格の勉強をすると言って、でもそんなの方便です。社会に戻るのが怖かったんです。何もしたくなかったんです。三年間働いた貯金がありましたしね。このひきこもり時期に自分のこれまでの人生を分析しました。

今まで書いてきたようなことです。

普通の人は学生生活時に人との会話やコミュニケーションのスキル、人との接し方などのスキルを会得していたわけです。私は集団生活で必要なスキルを伸ばそうとはしませんでした。その結果がこのざまです。

人と話せない。友達もいない。家族とさえそんなに会話ができない。世間話すら出来ません。何の趣味もないので話題もない。だからといって自分一人で何か出来るか?といえば何もできません。一人では何も出来ない人間なのです。羞恥心もあってバカにもなれませんし、冒険も出来ません。自分一人では何も出来ない人間になってしまっていたのです。

このひきこもってた時期は26歳くらいだったと思うのですが、この時まで、ファミレスに行った事ありませんでした。小さい時に親と行ったことはありますよ。でも16歳以降で行ったことなかったんです。一人でいけませんから。。。。喫茶店もないです。かろうじて吉野家、マクドくらいはあったかな。

映画館も小さいころに親とドラえもんを観にいったっきり。カラオケもない。ボーリングもない。ゲーセンもない。CDやビデオレンタルもしたことない。音楽も興味ないのでほとんど知りません。旅行だって西は小学校の修学旅行の広島、東は中学、高校の修学旅行の長野まで。というかこれ以外で近畿から出たことない。今考えると修学旅行以外だと東は京都河原町、西は六甲くらいだったと思う。

もちろん海水浴もいくことないし、スキーもない。

一人でそんなのいくことない。

ほんと何も出来ない人間だったのです。

経験値が低すぎますよね。

ほんと何も出来ない人間。

怖くて何一つ自分で出来ない人間。


学生の時は、学校と家の往復でした。会社員時代は、職場と家の往復でした。それ以外には何もなかったです。休みの日に何かあったわけではないです。ずっと家にいました。でも学生の時は学生という身分があり、会社員時代は会社員という身分があったんです。一応、自分がいる場所があったんですよね。

社会との接点があったんですよ。でもそれがなくなって無職になってひきこもってしまうと社会との接点が何もなくなってしまいます。元々プライベートがゼロなんだから無職になったら何もなくなるんですよ。自分は誰にも繋がっていなく何者でもなく、そして自分から何かするわけでもなくそんな存在。それが私なのです。このまま生きる価値あるのかなって。生きる意味あるのかなって。そんなことを考えていました。 あれ?長くなっていますけど、まだ続きます。【2018.9.10】

自分の歩んできた道を振り返る【ダメ正社員時代】



正社員9ヶ月

無職半年

正社員1年10ヶ月


そして・・・・引き篭もりがひとり誕生した。


働くことが大変なことだと働き始めて初めて知りました。小さい頃から父親が朝から晩まで働いていましたが凄いことだったんですよね。自分が働いてみて初めて知りました。

子供の頃に自分の周りで転職なんかする人なんていなかったしひとつの仕事をずっとしている人ばっかりでした。もしかしたら私が知らないだけでいたのかもしれないんだけど。。。

働き始めて無能の烙印を押されて、職場にうまく溶け込めなくて自分は社会ではやっていけない人間なんだってこの三年間で理解しました。父や母は凄かった。学生の時はそんなこと思ったことなかったのに働き始めて私の両親感が180度変りました。

今思えば勤労というものを舐めてた。学生の頃にバイトをしていたらもう少し順応出来ていたかもしれない。何をやっても怒られるし失敗する。賃金分の仕事をしていない事も理解していた。毎日の労働に忙殺されて休日は体を休めるだけになった。実家が田舎なので通勤時間が往復で3時間はかかってるのもあった。体がついていかない。先が見えない。仕事が出来るようになるとも思えない。

自分は出来ない人間。無能な人間。

人と会話をすることも出来ないし、そして孤立した。

学生の時なら孤立しても平気だったんだけど。

職場では孤立すると即、死を意味する。


2つ目の会社で1年10ヶ月目に上司に肩たたきにあう。

言われた言葉が「仕事が出来る人間ならコミュニケーションが下手でも自力でなんとかやっていける。仕事が苦手でもコミュニケーションがとれるなら誰かに教えてもらったりフォローしてくれるだろう。でもお前は仕事も出来ないしコミュニケーションもとれない。逆に職場の雰囲気が悪くしている。うちの会社にはいらない。」

薄々は気がついていたんだ。でもそういう問題から目をそむけていたんだ。だって私っておかしいもん。普通じゃなかったんだもん。人と会話出来ない。世間話が出来ない。仕事が出来ない。ミスをする。分かってたさ。この言葉で自分は社会では通用しないんだって理解した。そして会社に退職願いを出して家にひきこもった。2000年の春【2018.9.10】

自分の歩んできた道を振り返る【浪人・専門学校時代】



前フリが長い。

このまま書き続けていいものだろうか?浪人時代、専門学校時代が続くんだけど。。。。特に何もない。無駄な時間が高校の延長で続く。

浪人すれば大学に受かると思っていたので浪人したものの結局、勉強はしなかった。予備校もほとんど通わず夏が終わった頃に大学に行く事を諦めた。よく大学にさえ行っておけば人生は変わったと自分でも思う。この大事な時に勉強して大学さえ行っておけばと。

だからといって、もし戻れるんならこの時期に戻りたいですか?って言われたら戻ることはしない。だって戻ったとしても確実に勉強なんてしないと思うからね。でも大学コンプレックスはひどい。自分がコンプレックスに思ってることって、体が貧弱なことと大学に行けなかったことだと思う。

未だに年に何回か見る夢が浪人時代の夢なんだよね。時は現代の夏頃、今だと44歳の私が受験勉強しているのよ。44歳で受験ってなん浪しているのよ!って思うんだけど。。。同級生達がもちろん大企業とかで働いていて子供までいるんよ。その子どもたちに混じって私だけエンドレスで受験の夏を何度も過ごしているのよ。そして。。。もうこのままでは間に合わない!!って思うところで目が覚める。体は汗だく。今思い出してもこの夢だけは怖い。

もうひとつ見る夢は仕事の夢。

仕事でボロカスに歴代の上司とか先輩に罵られる夢。私の見る夢の二本柱がこんなのだ。普通に怖い。起きたら汗だく喉からから。

ああああああ!

【浪人時代、専門学校時代】

高校三年からの延長、なんの思い出もない。それでも何の根拠もなく普通に仕事は出来ると思ってたんよ。私の小さい頃の夢がサラリーマンだったのよ。普通に背広着て普通に仕事して結婚して家庭作って子供を育てて人生を全う出来ると思い込んでいたのよ。

女性ともまだしゃべった事もなかったけど、日曜日に関西圏だけで放送されていた「紳助の人間マンダラ」って番組があってその中に「もてない君」っていうコーナーに出てくるもてない君を見ながら。。。さすがにここまではならないだろうって思いながら見ていたのよ。

今が学生やけど仕事したら彼女出来るやろうって何の根拠もなしに思い込んでいたんよ。この年令で毎週日曜日の昼間に家でこの番組を見ていたことじたいがやばいのだけども。土曜日のスラムダンクもリアルタイムに見てたし。。。ほんとずっと土日は家におったからな。

TBSの芸能人オールスター感謝祭って今でもやっているやん。

あれってさ。当時、芸能人ってなんでこんな簡単な問題、分からないんだろ?アホすぎるやろ!って思ってたんよ。私は、全問とは言わないけど95%は正解していたからさ。でも今はテレビを見ない生活をしているねんな。そしたらたまに実家に帰った時にあの番組を見てたら出てくる問題に、全く答えられなくなってるんよね。

あの番組の問題って家でずっとテレビ見てる人は答えられるのよ。逆にテレビみないような忙しい人は答えられないんよね。

そして就職する。

時は就職氷河期。普通は早い時期に就職活動をはじめるのよ。にもかかわらず私はやらずギリギリになって就活をして内定ひとつとったらそれでやめてしまった。これは今も変わらないんだけど、ひとつ決まったらもう次探すのがめんどくさくなってさ。やる気がなくなるんよね。それで何度も失敗しているんだけど。内定貰ったのに断る人っているやん。ほんま、そういう人って凄いと思うよ。【2018.9.10】

自分の歩んできた道を振り返る【高校時代】



自分にとって高校三年間の思い出なんてない。

どうやって三年間を過ごしたかも覚えていないくらい。

空白の三年間。

一番大事な時期なのに私には何もないのだ。



高校は地元の公立高校にいく。自転車通学。中学校までは普通だったのに。。。高校になると遅刻が多くなる。自転車でギリギリに登校し、そして授業が終われば速攻で帰る。部活にも入らず、バイトもせず、家で勉強もせず、休みの日にこれといった事もせず、長期の夏休みなどの休みも。。。結局、なにしていたんだ?どうやって時間を潰していたんだ?それすら今となっては分からない。ほとんど高校時代の記憶がないのだ。

おそらく家で一人でテレビみてゲームして寝て時間を潰していたんだと思う。何か趣味があるわけでもなく、一人でなにかするわけでもなく。ただ無為に時間を潰していた。高校入学当初の実力テストでは成績は50番以内に入っていたのに、高校三年の終わりには500番台に落ちていた。高校三年間で怠慢癖だけがついた。

中学生の頃は机に座って長時間、勉強する事は普通だったのに、学校の授業を聞くのだって普通に出来たのに。。。高校では机に座ることさえ苦痛になり出来ない。授業もうつ伏せで寝てちゃんと授業を受けれない。こういう高校三年間を過ごすと成績は落ちるし高校卒業後の現在に至るまで勉強そのものが出来ない体になる。

勉強するという行為すら出来ないんよ。まじで。よくうちらは第二次ベビーブームの年代なので受験の倍率は高かって大変やったっていうやん。でも私の場合は倍率が高かったから大学にいけなかったわけではない。勉強がそもそも出来なかったんよ。

どっか受かったでしょ?って言われることもあるけど、どこも受からなかった。ほんとそういう次元じゃなかったんよ。高校卒業時に、中学時代に自分よりも頭の悪いヤツが私立高校に行って有名大学受かったというのを聞いて私も私立行ってけばよかったなーって思ったのもあとのまつりでした。

高校三年間で私は腑抜けになっていった。

だらけた生活、人と接しない学生生活。

高校になって改めて人とコミュニケーションがとれないことに気がつく。二人っきりになると会話が出来ない。何をしゃべったらいいか分からない。ある子に遠足のバスの席決めで一緒に座ることになって「くらげと二人っきりになるの怖い」ってみんなの前で言われたことも今になってはいい思い出だ。

それからは二人になる場面になるとわざとトイレにいき一人になるようになった。この頃に便所飯も経験した。将来の夢や自分のやりたい事などこの頃は全く考えなかった。何の根拠もなく普通にやれると思い込んでいた。趣味もなく毎日だらだらと時間を浪費していた。周りの子がバイトしている時も私は部屋で寝ていた。周りの子がバイクの免許をとりに行っている時も私は何もせずに部屋で寝ていた。周りの子が部活で頑張っている時も私は部屋で寝ていた。

そして高校時代の思い出なんて何も作ることが出来なかった。自分の学校でもカップルが一緒に登下校しているのも見ていた。女子のグループや男子のグループがキャッキャしているのも見ていた。夏休み明けに教室にいくと日焼けしたクラスメイト達。。。。なんやかんやクラスメイト達は青春をしているようだった。

でも自分は何もしなかった。

高校卒業して5年後くらいに「ときめきメモリアル」という恋愛シュミレーションゲームをプレイしたんよ。三年間を使って部活したり勉強したりいろんなパラメーターをあげつつ女子と仲良くなってデートして、各種のイベントをこなして最後は伝説の木の下で告白されるゲーム。

私にはゲームしょっぱなに声をかけてくれる好雄(男友達)すらいなかった。何のパラメータもあげずずっと体力回復コマンドを押し続けたら三年間が終わったって感じだ。中学、高校の6年間で女子としゃべった事なんてない。挨拶くらいなものだ。

ほんと。。。高校時代、僕は何をしていたんだろうな。【2018.9.10】
ぷろふぃーる
名前:くらげ
1974年生まれ
無能な無職だめ人間
年収と貯金からみる経歴
「進撃の無職」早見ページ
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