無職ダメな人の末路

人生消化試合。貯金680万でセミリタイア中。残りの人生を悔いないように生きるのみ。この世に飽きたら死にます。

2001年04月

1ヶ月間のタイ旅行 後半戦




この写真も4男の祝いの時のかな。左が誰だろ?いとこかな?次女、長女、次女の彼。

長女は家事手伝いやって三女もずっとおったな。次女は銀行で働いてた。そう、昼間に遊びにいこう!となったらいつものメンバーになるわけよ。長女、三女、三女の彼、いとこの男の子(学校休み中)、もうひとりくらいおったかな。そのメンバーで車に乗り込んでどっかいくーみたいな。で夜になると働いていた人達が家にやってきて一緒に酒盛りしだすみたいな。そんなんやったよ。

水かけ祭りの時もこのメンバーで夜中にカオサンに乗り込んで白い泥みたいなのをぬりたくりながら練り歩いたり、次の日はソンテオっていう乗り合いバスみたいなに乗ってでも私の記憶だと乗りながら水かけたりかけられたりしてたな。なんだろ?あれは公共のバスじゃなくて誰かのトラックやったんかな?そんなことしてました。

一応、バンコクの有名なワット・ポーとワット・プラケオにも連れてもらったと思う。この後、バンコクからチェンマイに高速バスで行ってそこで何泊かして相棒がノーンカイに行きたいっていうからここで別れたんよね。泊まったところはバナナゲストハウスってとこでした。バナナのキーホルダーを最近まで気にいってつけてたから覚えてたんよね。で、私はチェンマイで1泊2日のトレッキングツアーに参加したんよ。象に乗ったり筏で川下りしたり少数民族と交流をしたりそんなことをしました。

で、鉄道に乗ってピサヌローク、スコータイ、アユタヤという風に一人で南下していく。私が持っていた地球のあるきかたが古かったのでいろいろと問題もあったねんけどね。夜市とかやっぱ楽しかったように思う。でアユタヤに着いた時に偶然に相棒とばったりあってそこからまた合流する。で、バンコクに戻っていったんカオサンに泊まってからまたあの家にお世話になることに。。。。もう少し南下して海とか行きたいと思ったんやけど行くのだるいってのが勝ってしまったんよね。で、ずっとだらだらしていました。

食事は、ナンプラー系が好きじゃないんですよ。なので料理の半分くらいは食べれなかったかな。なんか思い出あるかな?パッポン通りとかゴーゴーバーとかそういうことは正直知らなかったんですよ。そういうのを知識としていれずにタイに来たって感じだったので。。。経験はしていないです。通りを歩いて見たくらいです。やっぱ、お世話になった家に女子がいて次男とかが酒飲みながらパッポン!パッポン!とか笑いながら言ってくるんだけどさ。そういう話やめてーみたいな顔を女子たちがするんよね。なので知らないままです。童貞のままです。

帰りは国際空港まで車で送ってくれて最後まで一緒にいてくれたよ。でさ。この時期にさ。旅していると会う日本人、会う日本人に「小泉が首相になったみたいやよ」って言ってきたんですよ。小泉が首相?えええええ!ありえるの?ただの噂ちゃうん?って疑心暗鬼やったように思う。あとこの年がイチローのメジャー元年やったんですよ。タイ旅行に行くまでオープン戦は好調やったんやけど。。。果たしてメジャーが開幕してイチローは通用するのか?って分からなくてさ。帰りに飛行機の新聞を見て。。。あっ通用してるーって分かって嬉しかったのを覚えています。そのくらいかな。出国する時にはまたタイに絶対に行く!と思ってたんだけど日本に戻るとすっかりその思いは忘れてしまいました。

費用なんだけど。。。ゲストハウスが1泊300円、1食100円の3食で300円、1日合計600円。これを30日間だと1万8000円。観光だとバスとか電車などの交通費がかかるけどただの沈没だと月2万円くらいで生活出来るなってなったように思う。私はこの頃はタバコ吸ってたのでそれでも2万5000円くらいって計算してたと思う。今は物価上がってるんよね?【2022.8.20】

1ヶ月間のタイ旅行 前半戦




タイのバンコクの国際空港に降り立つと、むぉ〜んとしておりました。むぉ〜んです。4月の韓国はまだ寒いのです。そこから灼熱な国へ。今は空港から電車があるんですよね。この頃はバスだけでした。一緒に旅している人がタイは今回で3回目だったので私はその人に全て頼っていました。バスでカオサンのゲストハウスへ。ここで1泊か2泊したのかな。で相棒が前回の旅でお世話になった家にいこうというので一緒についていくことになる。場所はどこだっけな。空港からカオサン行きのバスに乗ってまだ乗り続けた場所やったと思う。

掲載している写真の家なんだけど。。。この家は大家族で長男、次男、三男、長女、次女、三女、四男の7人兄弟なのね。で末っ子の四男の子がちょうど20歳で出家?そういう風習があるのかな。何日間か坊主にしてあの袈裟装束をきてお寺にいく。自動車の整備師になる為に専門学校に行ってて卒業時に20歳になってその日がたまたま私達が行った日やったさ。出家する前日に祝う為に近所とか友達とかがきてみんなで祝うみたいな。そういう日やったんですよ。なので。。。。いっぱい人がおるから誰が誰かさっぱり分からんかったんよね。なんかみんな陽気に飯食って飲んで踊ってはるから。。。私もみんなが何言ってるか分からずにニコニコしながら飯食って飲んで踊っていました。

写真は、左からお母さん、四男の友達、私、次女、長女、三女の彼

で出家してお祝いは終わるんだけどそこからこの家にずっとお世話になることになるんよ。飯いっぱい出してくれるし。。。でもせっかくタイに来たのにどこにも行かずにずっと部屋でゴロゴロしていましたw どっか連れていってーと行っても、「暑い!暑い!」と言いながら全然連れていってくれないし。。。というかさ。この時期ってタイの正月のソンクラーンといって水かけ祭りの時期やったんよ。私全く知らんかってさ。この時期だとみんな帰省とかやらで交通網が凄いことになっていでどこもいっぱいで移動出来ないよーって言われたんよね。なのでこの子らと10日くらいは一緒に生活したと思う。海行ったり博物館行ったっリ。。。たぶん観光客が行かないようなとこいったんやろうね。三女の彼が車の運転担当で。。。というかあの彼、ずっとこの家に寝泊まりしてたんよね。よく分からん家やったんよな。一応、長女が大学で日本語を少し学んでるので意思疎通は出来るみたいな感じでした。

ほんまに他人の家でずっとだらだらしてたよな。夕方くらいになってから近くの金ピカなお寺まで散歩してさ。この頃のタイではね。クレヨンしんちゃんは放送されてたかな。あと日本人の有名人はYOSHIKIだけでした。どこに行ってもヨシキ!ヨシキ!って言ってきてたよ。【2022.8.20】



1ヶ月間のタイ旅行 最初に韓国へ行く




覚えている範囲で書いていこうと思う。タイは大韓航空を使ったのでストップオーバー(途中降下)で3日間くらい韓国旅行をしようとなったのね。あんまり海外旅行というものをしてなかったのでいい機会だし行こうとなったわけです。時期的にちょうどね。日韓ワールドカップの1年前やったんですよ。私自身そんなにサッカーに興味があったわけではないのでそういえばもうすぐ日本と韓国でワールドカップするんやなーって思ったくらい。でも一年前なので別に盛り上がってるとかそういうことはなく記念館らしきところにも行きましたけど別にって感じでした。

この頃は韓国が反日とかそういう情報は知らなかったです。向こうは反日やったみたいですけど。。。日韓ワールドカップ開催時に、ああ、そういう国なんだなって私は知ったって感じっすかね。宿は現地に行って交渉して1泊1,000円くらいの安宿に泊まりました。日本人がかなり泊まっていたと思います。夜になると共有スペースにみんなでしゃべっているのを確認していたので。。。正直、私はひきこもり明けだったのでこの旅行でもそんなに社交的にそういう場に行かなかったというか人と何をしゃべったらいいのか分からなかったんですよね。

行った場所は、東大門、南大門。あと世界遺産ということで、なんちゃら宮とか離宮とか行ったと思うが。。。ただただだだっぴろくて建築物も朱色と緑色の気持ち悪い建物ばっかりで、1つでもうええっかって思った記憶があります。

食べ物がとにかく辛く毎食ヒーヒー言ってましたね。で掲載している写真なんだけどここの豚肉が美味しかったです。豚の焼き肉みたいなランチを食べたんだけどね。普通に美味しかったです。それいがいではアカスリをはじめて経験しました。宿屋の人に聞いて近くの銭湯にいくとアカスリを別でしてくれるんですよ。常時、裸の兄ちゃんがおってさ。その人にやってもらいました。初アカスリです。それ以外では何も覚えてないです。

この頃のネットの状況は、どうだったんだろうな?ネットで旅行の情報を探すという発想じたいがなくて調べることなんてしなかったです。もしかしたら旅の愛好家のホームページが数は少ないながらもあったのかもしれません。「地球のあるきかた」を買ってそれを参考に旅していました。韓国でもタイでもインターネットカフェみたいな場所はありました。ゲストハウス内にそういうサービスをしているところもあったように思います。その頃は海外ではホットメールを使ってたのかな?日本にいる時はほぼ使ってなかったけど。。。携帯はドコモでIモードは出来るようになっていた時期くらいです。

私はこの旅で父から借りたカメラを持っていってたのですが。。。バックパックに入れて預けて搭乗したんですよね。これが間違いだった。韓国着いたからカメラを起動させるとちょいちょいおかしなことにすでになっていて。。。無理やり使ってたんだけどフィルム2本目で完全に動かなくなってしまったんよ。1ヶ月の旅行で最初の日にカメラが使えなくなるっていうね。なので思い出の写真なんてまったく残っていません。かろうじて残っている写真は一緒にいった人が撮ってくれた写真のみです。貧乏旅行やったので旅の途中で写ルンですみたいなカメラを買うのをためらったんよね。【2022.8.20】
ぷろふぃーる
名前:くらげ
1974年生まれ
無能な無職だめ人間
年収と貯金からみる経歴
「進撃の無職」早見ページ
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