無職ダメな人の末路

人生消化試合。貯金680万でセミリタイア中。残りの人生を悔いないように生きるのみ。この世に飽きたら死にます。

2001年12月

2001年は私にとっては開眼した年



2001年って私にとって凄い年やったんですよ。新たな人生がはじまった。初めて自分の足で一歩を踏み出した。どういう言葉が妥当なのか分からんけど。。。とにかくここから今の私が始まったと思います。「マトリックス」という映画の中でネオが仮想現実社会ではなく現実社会にプラグを抜いて誕生するあんな感じといいますか。。。

2000年は社会からダメという烙印を押されて引きこもっておりました。引きこもってる時に過去の自分を冷静にふりかえってみると何の価値もない人間だということを悟りました。それで2001年にオフ会に出てweb日記を書き出してそこから世界が広がっていくわけなんだけど。。。



最後かもしれないだろ。
だから全部話しておきたいんだ。
(2001年にFF10発売)

今までは友達もいなかった為にカラオケとかもほとんどしたことがなく音楽にも元々興味がなかったのですがオフ会に出る為にカラオケで歌える曲を探したりレンタルCD屋さんでベスト盤とかを借りてきてPCに曲を入れて聞いたりあの頃は映画を月に何本は見よう!とかしてたと思う。その時に「ショーシャンクの空に」も見た記憶がある。今まで無意味に生きていたのを意味をもたせる?何か広げよう何か自分の世界を広げようとそういうことをしだした初年度だったと思います。初めてのことを意欲的にしていたのでこの頃はやっぱ長く感じるというか凝縮されているといいますか。。。これもこの年の出来事やったんや。あれもこの年の出来事やったんやってのが2001〜2004年で特に多いんですよね。

この年に東京でオフ会があって管理人さんにオフ会参加しますか?って聞かれたんですよね。東京のオフ会に参加なんかするわけないやん!って即答で答えたんですけど。。。その時に大阪から東京オフに参加した人が何人かいたんですよ。そのことに私は衝撃を受けました。フットワークが軽いというか。。。東京は遠い!という距離感を簡単に超えちゃう人たち。。。私とは感覚が全く違うんですよね。その頃までは私は修学旅行で東は長野県、西は広島県くらいしか行ったことがなくて一人だと東は京都市、西は神戸は三宮までしか行ったことがなかったんですよね。東京にオフ会のために行ってしまう人たちをみて。。。。すげぇーって思ったのでした。

田舎民でもコミケに電車賃かけて参加する人たちやアイドルのツアーに参加する人たちも同じような感じなのかもしれません。私は素直にすげぇーなと思って行動範囲を広げよう、いつも重い腰があがらないような人間なんだけどフットワーク軽くしたいとこの時は思ったと思います。

最初に東京に行ったのがある人に誘われていったんですけど。でも東京のオフ会の為に行ったのかな?観光した記憶がないので。。。元々その彼が金沢文庫に実家があってそこに泊まらせてもらったと思う。行きはどうだったっけな?一人で18きっぷ使って行ったのかな?帰りは一緒に帰ってきたけど。。。。オフ会は女子2人組と渋谷のモヤイ像で待ち合わせてもんじゃ焼きを食べた記憶があるそのあと、カラオケ行ったんだっけな。それとは別にオフ会も行ったんだっけな。過去日記を漁っても全く出てこないので消してしまったのかもしれん。たぶん2002年やと思う。浜松にもネット友達がいたので東京に行く時には毎回、浜松によってから行ってたと記憶している。

金沢文庫から東京へ朝に電車に乗っていくわけやん。私は通勤が苦痛で仕事が嫌だったってのもあったんやけど。。。東京の人の満員電車ってそれを越えてたんよね。この人達。。。これで1時間くらい耐えて毎日通勤しているんだって思ったら。。。東京に住んでいる人達って素直にすげぇーって思いましたね。青春18切符の存在もこの頃に知ったと思います。聞いたことはあるけど学生が使える割引切符だとそれまで思い込んでいましたし。。。ほんとみんな当時は青春18切符をよく使って移動していましたね。で、時刻表ですよ。時刻表なんて時刻表マニアが持つものって思ってたのがこの頃は買って持ち歩いてたもんな。駅スパートみたいなものもスマホないからパソコンでは出来るけどそれをプリントアウトして持ち歩くみたいなそんな感じだったかな。それだと突発的には動けないので時刻表を旅行の時は常に持ち歩いていました。嵩張るのにね。【2022.9.6】

2001年とそれまでのまとめ(整理)



今は2022年なんだけど2001年までのことを整理する為に振り返って書いていこうと思います。

【年表】
1995年1月 阪神・淡路大震災
1995年3月 地下鉄サリン事件
1997年 酒鬼薔薇事件
1998年 松坂春夏連覇
1998年 フランスワールドカップ ペルージャ中田移籍
1999年 ダイエーホークス初優勝
2000年5月 西鉄バスジャック
2001年6月 宅間の付属池田小事件 


専門学校の頃に阪神淡路の震災がありました。住んでいる場所が和歌山なので被害は全くなかったんだけど。。。あの日は、なぜか朝まで寝れずに起きてたんだよな。そしたら突き上げるように床が動いたんですよね。上にふっとばされるとまではいかないけどちょっと宙に浮いたような感じ。。。それでも震度4くらいだったと思うので震源地に近いところはもっと酷かったとは思う。朝になってテレビで震災のことがやっててそのまま学校に行こうとして駅までいったんだけど動いてないということでそのまま帰宅して一日中テレビを見てたって感じやったと思う。

地下鉄サリン事件、その前にワイドショーで話題になっていた頃は高校生で帰宅部でもあったので学校から帰ってくるとワイドショーをよく見ていたのでよく知っていました。サリン事件の時、その後のワイドショーの展開とか。。。どうだろ?そこまで熱心に見てたか?と言われたらどうだったのかな?専門学校生だったのでワイドショーを見るというような生活でもなかったですし。。。

でも小林よしのり氏のゴーマニズム宣言を読んでたのでそこそこは見てたようには思う。その後の薬害エイズ問題も。。。高校3年生の頃から「誠のサイキック青年団」というラジオを聞いていてサイキッカーといわれる人間でした。このあたりの学生の頃は私は何をしていた?と言われたらサイキックと競馬くらいしかなかったように思う。競馬もちょうど高校3年生から働くまでハマっていましたしね。(辞めた原因は土日勤務の仕事だったしPATの抽選にも当たらなかった為、しだいに興味なくなったんですよね。)

1997年 酒鬼薔薇事件
詳しくはあんまり知らない。働きだして仕事におわれていて世間のニュースなんて興味がなかった。でもフライデーに顔写真が掲載された時に上司がそれを見たらしく「お前に似ているなー」って言ってきたのだけは覚えている。その頃から職場で陰湿なやつって評価だったんだと思う。まじで働いていた時はしんどかった。スーパーで働いていたんだけど、開店前の品出しの時間あるやん。その時に店内に有線が流れてたんよね。中谷美紀の「砂の果実」、安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」はよく覚えている。今でもこの2曲を聞くとあの頃のことが甦ってきて泣けてくる。

あと日曜日に仕事帰ってから一人で家で飯食べるんだけど、その時に「ASAYAN」をよく見てて平家みちよとかモーニング娘。のオーディションを疲れながら見てた記憶がある。一週間これしか楽しみがなかった感じでした。(モーニング娘。はここからハマって4期加入あたりまでは見ていたと思う。たぶんASAYANで取り上げなくなって以降は見なくなったって感じかなと)

1998年 松坂大輔 春夏連覇

私が最後にちゃんとみた高校野球だと思う。この夏の大会はよく覚えてる。

1998年 フランスワールドカップ ペルージャ中田移籍

これもサッカーにそこまで興味はなかったんだけど、この頃、2社目の仕事をしていて先輩がサッカー好きだった為に見るようにしたんだと思う。とりあえず中田さんの夜中にやっている試合というかダイジェストというかそれだけはずっとボローニャあたりまでは見てたと思う。活躍していると見ちゃうよね。

1999年 ダイエーホークス初優勝
野球はホークスファンなんですよ。元々小さい時から親の影響で巨人ファンだったんやけど、どのあたりかな。FAと逆指名で1995年あたりにはなんだかなーって思って興味がなくなったと思う。パ・リーグはホークスを応援していたので完全にホークスファンになっていたんよね。しかし2003年阪神を下して日本一が私の中ではピークで、2004年には1位になったもののプレーオフで敗退して2005年にソフトバンクになったあたりで。。。興味なくなったみたいな感じです。プロ野球再編問題も結局あんまり見てなかったと思う。もう興味失ってたのかな。その後、メジャーを除くと大谷翔平選手の2年目までプロ野球の記憶はないんよね。

2000年5月 西鉄バスジャック
この事件のときはまだギリ働いていたと思う。2chの存在はこの事件で知ったわけだけど。。。いかがわしい掲示板って印象やったかな。そんでもって退職して1年くらいひきこもることになるんだけど。。。退職と同時にノートパソコンのVAIOを購入してBIGLOBEと契約してインターネットにつなげる。(初インターネットです。)最初はメル友みたいなのが欲しくてやりとりみたいなことをしていたけど。。。そのうちチャットするようになってその面白さにハマった感じですかね。テレホーダイとテレチョイスに加入して午後11時から午前8時までチャットをするような生活へ。

私の中でインターネットデビューしてネットの住人になるとテレビへの興味がなくなり見る機会が極端に減っていき俗世間のニュースとか流行り物に疎くなっていく。モーニング娘。にしてもこのあたりで私の記憶が途切れてるんだよね。中澤裕子卒業が2001年4月みたいだから。。。全く記憶がない。ドラマもキムタクドラマでいうとビューティフルライフ(2000年)、HERO(2001年)。が最後かな。テレビに興味なくなると「誠のサイキック青年団」も聞かなくなる(ちなみに例の打ち切りは2009年)

2001年6月 宅間の付属池田小事件
宅間さんの事件だけは。。。あれ?この年やったっけ?って思い出いっぱいだ。私の中では加藤智大の秋葉原事件(2008年)に近いと思ってたんだけど。。。あんまり記憶にないのはなんでだろ?タイ旅行から帰ってきてるし小泉首相誕生フィーバーでかき消されたか?

2000年
私はというと仕事を辞めて親には資格をとる為に専門学校の講座を受けるといいながら家にこもるようになっていく。やることはほぼインターネットでチャット。それ以外のことは覚えてないってことは何もしてなかったってことかな。

2001年
仕事を辞めてから1年が近づき貯金も尽きてくる。正常を装ったひきこもりなので年金などの社会保険料も払ってたし家にもお金入れてた為に気づいたら尽きてたんよね。さすがにまずい!何かしなければと思いオフ会に出てみよう!ってことになる。そこでいろんなメンタル系サイトを見るようになる。その中で「リアルで不足しがちな『心の隙間』を補うサイト」という、ぱぴぷーたさんが運営するHPがあってそこのオフ会の日程が近かったので参加することになる。まあさんが運営する「対人恐怖症のページ」にも大規模オフ会があったのですが。。。さすがに参加人数40人とかで募集してたので。。。そちら怖くてやめた。

この頃、「籠城」、「リアルで不足しがちな『心の隙間』を補うサイト」、「木漏れ日の部屋?」、「対人恐怖のページ」、「癒やしの隠れ家」とかかが有名どころだったかな。「BLUE」は同時期だったか?「ひきこもり村」は時系列的に数年あとだったと思う。ちなみに調べてみたらBLUEのみ現存しておりました。

BLUE:http://bluemental.karou.jp/

ぱぴさんのサイトのオフ会に応募してそこから始まったって感じかな。情報と人ですかね。それまではただチャットで馴れ合ってもこちらは個人情報を開示するわけではないし心を開かないといいますか。。。上辺だけの付き合いみたいな感じやったんですよね。それが実際に会うと変わったというか。2ちゃんにしてもオフ会の中でそういう話が出てきてさ。私の中では危ないサイトって認識やったんやけど、違うよー。みたいな感じでそこからいろんなサイトを教えてもらっていくようになったり。。。自分も日記を書いて発信するようになったり。当然見てくれてる人は何人か私という存在を認識してくれるようになってなんか動き出したといいますか。。。2001年は2ちゃんの無職だめ板と独身男性板を中心にROMってましたかね。

どうなんだろうな。2002年5月に正社員を辞めてバイト生活に入るんだけど。。。その頃には確実に2ちゃんの無職だめ板の労働開放スレとかその手のスレがあってサイレント・テロはあったのかどうか覚えてないけど。。。すでに少ない年収でも生きていくみたいな感じのことは議論されてました。なので2001年時には仕事つらいと言いながらそういうスレを見てたような気がします。2001年時に、メンタル系のサイトには人生に疲れた人はいっぱいいましたし心療内科通っている人。。。そんな人ばっかりでした。みんなオフ会にいくと薬自慢とかしだすんですよ。100均で買ったお薬ケースを出しあって薬談義に花を咲かせていたのです。

あと携帯電話は仕事で必要なので1998年に使いはじめて2000年にIモードの携帯を買ったのかな。2001年だったかな?そんな感じです。

この頃流行ってたのが。。。
侍魂の先行者
ちゆ12歳 とかですかね。

ちなみに「リアルで不足しがちな『心の隙間』を補うサイト」は、掲示板と日記がメインサイトでそこで私も管理人さんの勧めで日記を書くことになりWEB日記デビューを飾ったわけです。数年前、知り合いの話では管理人のぱぴぷーたさんはベトナムで日本語教師の仕事をしていると言ってました。今はどうか知らんけど。【2022.8.30】

バカです私は・・・・。

年末に日記を書こうと思ったけど・・・・・。
わけあって書けませんでしたので今書くことにします。

31日は昼頃起きました。
そして洗車した。
その後、母親と喧嘩した。
金のことで・・・・。
生活態度のことで・・・・。
部屋を掃除していないことで・・・・。

むかついたのでそのまま布団に入って寝ました。
そして起きたら年を越していました。(汗)
げ!私は新年早々また同じことをしてしまいました。(汗)
年末から14時間ぶっとばして寝てしまいました。

紅白見る事出来ませんでした。
猪木祭りも見る事出来ませんでした。
年越しそばも食べる事出来ませんでした。
うぅぅぅ。

起きてとりあえずネットを繋ぎました。
朝の6時頃・・・・やっぱり人はいませんでした。
Sさんのみ。
今年最初のご挨拶、Sさんにしました。
明けましておめでとうっと・・・・・。
そして、ネットを切ってまた眠りにつきました。

14時間も寝ていて、すぐに寝れる自分は凄い奴だと感心しました。

朝11時頃、親に起こされました。
で、新年のご挨拶。
おせち料理を食べて、両親にお年玉をあげて・・・・・。
昨日はこのお年玉のことでもめました。
まあ、これくらいの出費で機嫌がよくなるんだから安いものだな
と思い、気前よくあげました。2万円なり♪~
そういえば、クリスマスにもあげたんだっけ。
まあ、いっか。

朝、父親から「お前と同じ年賀状がきてるでぇ~」といわれました。
え!?
同じ絵柄の年賀状が・・・・。(汗)
会社にいったら、このことについて、また言われるんだろうな・・・・。
あー。だるい。

正月にテレビってなんでこんなにおもしろくないんでしょうね。
ビデオ借りてきてないし。
テレホだからネットできないし。
ゲームもやるものないし。
どうやってこの三が日を過ごせばいいんだよー!!
やっぱり神様も私に寝て過ごせって命令しているんだろうなと勝手に解釈しました。
ってことで、寝て過ごすことにします。

一応、サッカーは見た。セレッソ対エスパルス
いい試合だったと思った。
感想はこれだけ。

去年のクリスマスはケーキを売っていたけど♪~

去年のクリスマスの時期はどうだったのだろうと思い起こしてみた。
去年は無職だった。
家で今みたいに一日中部屋に篭ってだらだらしていた。
そしたら母親に怒鳴られたんだっけ。
「いつまで、だらだらしてるんや!どうするつもりなの!」
ってさあ。
そして、私は家を飛び出して車のアクセルほ踏んだんだった。

ガキだよね。
親に叱られて家を飛び出すなんて、いい年こいてさあ。
盗んだバイクで走り出す♪~

って・・・お前いくつなんだよって(汗)

ただひたすら車を走らせた。
和歌山市に行き、ただ道がまっすぐに伸びていたから進んだ。
有田、白浜と道を走らせた。
新宮までたどりついた時には夜の0時くらいだったっけ。
そして熊野に行ったところで、気付いた。
ガソリンがないことに・・・・^-^;アハハ...
バカでした。
げ!
熊野から北へ行くには山を越えなければならない民家なんてない。
ガソリンスタンドなんてあるかどうかも不明であった。
誰もいない山の中でガス欠したら、たぶん死んだであろう。
その日は寒い夜だった。

私はそこで車の中で一泊することにしたんだ。
そこの地名は覚えていない。
トンネルを抜けたらいつも霧になる場所。
通った人がいたら分るかもしれない。
いつもそこは霧なのだ。
車を降りると、濃霧で前は見えない。
霧雨って、ここではじめて経験した。
近くに民家なんてないから明かりが全くない。
道の両面は山だから空も狭いんだ。
本当に静かなところ。
シーンってほんまに耳でするんです。
凄くでかい音で。

ひたすら寒い。
そこを車を通るのは1時間おきくらいだった。
体が冷える。
そりゃそうだ。
ガス欠を恐れてエンジン切っているんだもん。
寒さに耐えながらでも、30分おきにエンジンをかけて、暖房を入れて
社内が温かくなるのを待つ、そうすれば冷えた体も解凍されるのだが。
体が温まったところでまたエンジンを切る。
その繰り返しだった。

ラジオではクリスマスソング特集をやっていた。
誰もいない山の中で一人、車の中で寒さに堪えながら、クリスマスソングを聞いていた。せつなく、
むなしい。
何しているんだ私は?
って、震えながら思っていた。
寝たいのに寝れない。
寒すぎて・・・・・。
目はぼーっとしているのに・・・寝れなかった。
寝れずに朝を迎える。
ずーっと同じ態勢で寒さに耐えながら、クリスマスソングを聞いていた。

朝を迎えてガソリンを入れたら、家が恋しくなったのだろう。
すぐに帰りたいと思った。
すぐに帰れると思った。

しかし、車を進むにつれて、道を間違ったのだろうか。
迷い込んでしまっていた。たぶん紀和町くらいで。
狭い道をひたすら走った。
狭い。軽でやっと通れる道。坂も急で、ほんとうに車が通る道が疑問だったが・・・・。方向転換できる場所が
なかったので・・・・ひたすら進んでいった。
1時間たってもでかい道に出ない。
対向車が一台も来ない。
車なんてそこでは見る事はなかった。
ひどい道。
道はの一方は崖。
見下ろしても、下が見えない。
途中から霧で見えないのだ。
下を見ると不思議な気持ちになった。
吸い込まれそうな感覚。
ここで、落ちたら絶対発見されないだろうと思いぞっとした。
ここで死体を放り投げたら、たぶん絶対に見つからないと思う。
たぶん、私が知らないだけでやっている人いると思う。
この地方で死体が発見されましたなんてニュース、聞いたことないもん。

どこを走っていたかは私自身、わからなかったのだが。
たぶん、奈良の十津川村の東側の山道だったと思う。
西側は一応、国道通っているから。

この山道に入ってから3時間が経過していた。
延々と細く急な道を上ったり下がったりして、3時間たったとき少し開けた場所に出た。車が5台くらい
停車できる広さ。
私はずーっと走ってきて、おしっこがしたかったので。
そこで車を降りて、立ちションをした。
ふと横を見ると、石碑が立っているのが見えので、目を凝らして見てみると・・・・。
もう1年前のことなのではっきりとは覚えていないが・・・。
平家の石碑だった。あの源平合戦の平家である。
それを見た瞬間、全身に震えがきて、おしっこが止まった。
こんなところでおしっこして呪われるんじゃないかと思って・・・・。
でも、今だにそんな症状は出てない。無気力は昔からだしねえ。

平家の落ち武者がこんな山奥まで逃げてきたんでしょうか?
そこで一族で生活して・・・・。
しかしこんなところで、生活なんて。・・・できんよ。

この道を走っているときに民家が数軒くらいあったけど。
はたして、あそこに住んでいる人はどういう生活しているんだろう?
ちゃんと生活できているのかが疑問だ。
あんな場所、陸の孤島だよ。
凄い不思議だ。

この後、無事に帰れたんだけど・・・。
これが私の去年のクリスマスイブとクリスマスの出来事なんだ。
あほです。

さっき書いた十津川村。隣が天河村。
昨日、天河殺人事件のドラマをやっていた。
父親が見ていただけで、私はそんなに見てない。
あいかわらず、辰巳琢朗は演技下手やなーと思ったくらいで。
でも、足利義満の末裔がなんで天河村みたいな田舎にいるんだ??
よう、わからん。歴史あんまり知らんからかもしれんが。(汗)

十津川村。
十津川って名前が歴史に出てきたのは一度。たぶん。
幕末。
十津川浪人として・・・。
十津川は武士なんていないのです。
険しい山ですから・・・たぶん、みんな樵ばっかりだったんでしょう。
幕末期に青年たちが一気に山を降りて志士となって京都を暗躍した。
志士として。
しかし、彼らの大半はボロ雑巾のように惨殺されて名を残すことは出来なかった。
新撰組を筆頭に、幕府に殺されていったんでしょう。
若いエネルギーは幕末という時代の小さな存在にしかならなかった。
そして命は消えた。

私も同じ、どんなに頑張ってみたところで、しょせんは小さい存在。
金もなく能力もなく・・・・。
そんな人間は、底辺でうごめいて終わるしかないのです。
しょせんは虫けらのように・・・。


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2001年12月26日(水)
20011226
だらだらと意思のない文章などを
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やるべきこと何もしてない。
こればっかりだけど、これしか言いようがない。
頭の中では、分っているんだけど動けない。
もう今年も終わりだよ。
やらなければいけないこと、10個ほどある。
今年中にしなきゃいけないと思ってる。
全部出来るか?
全くしないか?
どうだろう。

いつもそうだった。
いつも明日やろう。
今度やろう。
いつも引き伸ばしていた。
そしてこの年齢になるまで何もしてきてないという結果になったんだった。
いつになったら私は深い暗闇から抜け出すことが出来るんだろうね。

今年も3万人の人が自殺したらしい。
うちの街の人口よりも多いんじゃないか?
街の人が全員、一斉に自殺したら凄いニュースになるんだろうなー。
私は自殺なんて考えたことがない。
ただ生かされているデクだから・・・。
人形には意思なんてないからさあ。

で、年末から正月にかけての休みどうするよ。
ネットしかやることないんだけど・・・・。
常時じゃないから出来ない。
休みの日、やることないからいつもネットが出来る時間になるまで寝て。
そしてテレホ時間とともに起きてって感じだったんだよなー。
年末も正月もそんな風になるのだろうと予想できる。

金が無い奴はアフガニスタンに行け。
大きなビジネスチャンスだ。
借金抱えて自殺を考えている人はアフガニスタンに行け。
懸賞金で余生を優雅に暮らせるから。
あー。ビンラディンよ。私の押入れから出てこないかなー。

私の眼は節穴だった

私の眼は節穴だった。
うすうすは気づいていたんだけど(汗)
某B里さんのことについて。

彼とは某チャットで3月くらいに出会ったように思う。
もう半年以上たつ。
彼は良い人です。
よく気がつくし、ちゃんとしているし、私よりもかなり年下で、ハキハキものを言うところが好感が持てた。
いい青年だな~って思っていた。
自分とが違う普通の魅力のある青年だった。

彼はたまに気を使って声をかけてくれる。
そう、私にとってはいいタイミングで声をかけてくれるんですよね。
タイミングって重要で、心がすさんでいる時、調子が悪い時に、さっと心の隙間に手を差伸べて
くれる人っていいですよねえ。
気分が悪い時に間が悪く、声かけられるのって、だるいなとか思うんですけど。
彼はタイミングがよかったんですよ。
ちょっと特別なお人でした。

で、音声チャットのほうを彼と始めてしたんです。
第一声、うん??
声が小さかったから彼のテレビの声が聞こえているのかなと思ったんです。
で、次の瞬間、私全身が硬直しました。固まってしまったんです。
女の声!!
え!!なんで!
顔から血の気がひきました。
ちょっとの間、頭がパニックになりました。
妹か?それとも彼の彼女の声か?
え!なんで女なの!
その時、彼が彼女になりました。(汗)
私が思い描いていた良い感じの青年が・・・・・^-^;アハハ...
心臓が止まりそうになりました。
止まったかな?

その瞬間、彼と会話(メッセ)したことを思いだそうと必死になりました。
なんか失礼なこと私言ってなかったかなーっと・・・。
下品なこと言ったような^-^;アハハ...
はう。
思いだせん。あとの祭りだ。

私の眼は節穴だった!

そう彼女にはかなり失礼なことをしたと反省しています。
某Sさんも私、男だと思っていました。
彼女とメッセでSさんって女性ですよ。って言われて、はじめて知ったんですよね。
うーん。このことは文章にするの難しい。
だからやめる。

某T茶さんも最初、男だと思っていたし・・・・。^-^;アハハ...

が!!
今までの人生経験の薄さがそうさしたんだろうか?
CMで違いが分る男として出演依頼絶対こないなー。

違いが分らない男。27歳。
今日も一日、だらだらと無駄な時間を過ごしていました。(汗)

学校4 15歳を見て

疲れた体を引きずって仕事から帰ってきたら、母親がテレビを見ていた。
私はそのテレビを見つつ、晩御飯を食べていた。
その時やっていたのが、「学校4」である。

ちょうど、見始めた時が主人公が赤井ドライバーから女性のトラックに乗りうつるところだった。
見ているうちに、引き込まれてしまっていました。
最後まで見た。ちょっと感動した。

主人公が学校に行かなくなった本当の理由はよくわからなかった。
たぶん、私の見ていない前半で語られていたのだろう。
途中、その女性トラックの中で主人公が語りだしたセリフがあった。
「朝起きるとお腹がキリキリと痛くなるんですよ。だから学校に行かないでいると昼間には
治っている」ってセリフ。
そう!そうなんです!
私も同じだった。
朝になるとお腹が痛くなる。
激痛が走るんですよねえ。

しかし、この主人公は嘘を言っている。
朝方、お腹が痛くなっても3時間目からでも4時間目からでも昼からでも学校には行ける。
私はちゃんと行っていた。
単位はギリギリだったけどちゃんと行っていたよ。
朝の激痛を堪えて自転車に乗って行っていた。
それが昼からでも・・・・。
そりゃあ、毎日のように途中から学校に行くんだから、周りに白い目で見られたさ。
毎日が恐怖だったんだろう。
過敏性のものだから・・・。
高校の三年の一番大事な二学期の期末テストなんて、もうひどかった。
テストが毎日3時間くらいあるんだけど。
毎時間テスト中にトイレに行ってた。
内気なのに、テスト中に先生を呼んで、「トイレに言ってもいいですか?」って聞かないけないんだよ。
死にたい気持ちになったよ。
ある時間なんて、テスト中に2回もトイレに行ったことあるし・・・。
周りからは白い目で見られたのだろう。
まあ、私はお腹が痛かったことでそれどころじゃなかったけどねえ。
テストなんて当然、ボロボロだった。

受験、一応私も受験した。
小学校から高校までずっと地元の学校に通っていたから、朝電車に乗った経験がなかったんですよね。
受験の時にその試練が突然やってきた。
受験に行こうとするとお腹に激痛がやってくる。
そして電車に乗れば、また激痛!途中下車。
電車で呼吸困難!気を失う。
もう散々だった。
当然、受験時間に間に合わず、何校か受けたけど、試験会場には一度もたどりつかなかった。
こんなこと親は知らない。

こんなこと親は知らない。
受験料もバカにならない無駄金だった。悪いことをしたと思う。
あの時の金は戻ってこない。

親は普通に受験に失敗したと思っているが。
実は違う。テスト一度も受けてないんです。(汗)
まあ、バカだったから受けても落ちたと思うんですけどね。
こんなことで人生が大きく狂うとは!?
まあ、もうその前から狂っていたけどね。
まあ、しょうがないかってその時は思った。

それからテストというものはこの朝の腹痛で失敗している。
資格も取れていないのはこれが原因だ。
だって試験会場に行けないんだもん。(涙)

車の免許も一度落ちているんです。
親にはあんなもの落ちるなんてお前はほんまにバカだなーって言われたけど。
一回目は腹痛で試験会場にたどり着かなかっただけなんです。

なんでこんな風になったんだろう?
これからどうなってしまうんだろう?

腹痛と短い言葉で言ったけど、細かく文章にすると、たぶんそんな汚いこと日記に書くなよーって言わ
れそうだから、腹痛ってまとめた。
今の職場は家から2時間かかる。
毎朝が腹痛と呼吸困難と闘っている。
通勤するだけで一日のエネルギーのたいはんを消費してしまっているので、無気力なのもしょうがな
いかなーって思う。

毎朝がお腹との格闘。
知らぬ間に何処の駅にトイレが何ボックスあるかとか、朝空いている確立が高いトイレは何処かとか、
そんな普通の人には必要のないデータだけは私の頭に入っていたりする。(汗)
一つ言わしてもらいたいことがある。
最近、私が使っている南海電車の急行がある駅に止まるようになった。
しかしその駅にはトイレのボックスが2つしかなかったりする。
急行が止まるようになったってことは、その場所の人口が増えてその駅を使う人が多くなったわけでしょう?
なんで、トイレだけ昔のままなんだよ!
トイレも拡張しろよ!!
これは、他の駅も同じだ!
私みたいな人間にとってトイレに入れる確立っていうのが死活問題になるんだよ!

まだまだトイレ話はたくさんあるけど、こんなことばかり書いていてもしょうがないのでやめることにする。

私のトイレのエピソードをもう一つだけ書いておくことにする。

みなさんはこんな経験ありますか?
散髪屋で髪を切ってもらっていた後、髪を洗ってもらっている時に腹痛がきたんです。
そう、ビニールの前掛けみたいなのをしたまま、頭にシャンプーが残っている状態で、トイレに駆け込んだ。
それもその散髪屋にはトイレがなくて、道をへだてた仮設トイレしかなくてさあー。
その道はある女子高の通学路なわけさ。
ちょうど夕方だったんで、女子高生がいっぱいで、その集団を散髪ルックの状態で横切って仮設トイレに
行ったんですよ。
これほど、恥ずかしかったことはないよ。
恥ずかしいっていうより、その場で腹かさばいて死にたい気持ちになった。
女の集団は嫌いだ。

おじいさんが、お漏らしをしたことをとても恥ずかしく思い、誰にも絶対に話してはいけないと言ったんですよ。
それなのに、あなたは……。
自分も子供の時はお漏らしをしていたではないですか!それなのにさんざんお世話になった父親に対して、
くさいくさいと人の前でいう。それで、はずかしくないのですか!

こんなことを大人に言えるきみは立派な15歳だよ。
まあ、脚本家が書いたんだろうけど。
でも、ちゃんとした15歳だよ。
私は27にしても、そんなことは言えない。
心ではそう思っても口に出しては言えない。
きみと僕はやっぱり違うんだよ。
最初は共感したけど、やっぱり違うと感じた。
心の中の僕はそんなきみみたいな感じかもしれないけど、それじゃあ誰にも分ってもらえない。
だから見えない君なんだよ。

きみは15歳にして一人で屋久島まで行くんだもん。
行動的だよ。
そして見ず知らずの人と会話して、立派すぎるよ。
私が15の時も27の今もそんなこと出来たためしがないもの。

唯一きみと同じ突込みとしたことがある。
屋久杉を見に行く時にいっしょに歩いたお姉さんの言葉。
一人前になりなさい。
私も一人前って?って口に出して思わず言ってしまった。(汗)
でも、きみは一人前になれる素質があるよ。
僕には一人前になれる素質がないのさ。
素質って重要なことだと思う。
それをいつ知るのかも重要。

普通はどうなんだろう?
きみは15歳でそのことに疑問を持ったんだろう。
それだけでも立派さ。
私は今の今までそんなこと思ったことなかった。
そしてこの1年くらいで気がついたんだ。
もう手遅れだったよ。

去年、17歳の少年が事件とか起こして話題になっていたけど。
たぶん、彼らもあの年齢で一人前になれないって気がついたんだろうね。
それで自暴自棄になってしまった。
私には自暴自棄になる気力もないんだ。
もうしおれた体だからね。
人生も、もう下り坂にさしかかってしまった。
人は40歳になった時に人生の折り返し地点に来たと思うってよく言う。
でも、それも人ぞれぞれなんだろう。
30歳で折り返し地点を通過する人もいるし20歳で折り返し地点を通過する人もいる。
私はもう下り坂なのさ。
ゴロゴロとかけ落ちる。
うん?
中学生の時がピークだったから、高校の入学とともに転落していったように記憶する。
だから、15歳の時が私にとって折り返し地点だったんだろうね。と推測出来る。
大器晩成という言葉がある。
なんのいいこともない人生をおくっている人間にとってはすがりたい言葉である。
私は大器晩成かもってさあ。
でも、占い師には早死にするって言われたし・・・。
芽が出る前に死ぬか?
たまに花でも芽が出て花を咲かす前にかれてしまうものがある。
種をばら撒いて、最後に芽を出したものは発育が遅く茎も細くひ弱に見える。
でも、小学生の頃はその花に思い入れをした。
当時から私は貧弱な体だったためだ。
でも、その貧弱の花は花を咲かせる前にしおれて枯れた。
これが私の人生かもって薄っすらと思った。
花を咲かせたい。でも咲かない花もある。

うーん。つぎの、ひきこもり君の話しにいけない展開になってきた。(汗)
話しをガラっとコベルニクス的転回をすることにする。

この話しのところが一番、ぐっとなった。
うぅってなった。
しかしなんで、ジグソーパズルなんだ?
そんなのにそんなに熱中できるの?
もっとちゃんと熱中できることをして欲しかったよ。
時代劇が好きだったら、小説読んでいても、毎日録画した時代劇をテープが擦り切れるくらい見てい
てもいいじゃん。
なんでジグソーパズルなんだろう?

草原のど真ん中の一本道を      
あてもなく浪人が歩いている  
ほとんどの奴が馬に乗っても
浪人は歩いて草原を突っ切る
早く着くことなんか目的じゃないんだ
雲より遅くてじゅうぶんさ
この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ
葉っぱに残る朝露
流れる雲
小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない
だから浪人は立ち止まる
そしてまた歩きはじめる

そうやって達観出来たらどれだけ楽なんだろう。
でも、この詩は感動したよ。
わかるわかるとぐっとなる自分がいた。
でも、私がこの詩を書いたとしたら、もう一人の自分がそれはいいわけだろう?って突っ込むのだろ
うけど・・・。(汗)

紀州の浪人は立ち止まったまま動こうとしない。
道に迷って暗闇の中でつぶやいている。
早くここから出たいと・・・。

ダメ一年

時の流れるのがはやすぎる。
もう残すところ約10日。
げ!今年も何もしない終わってしまう!
何も変化をせずに・・・・。
後、10日あまりに少しは変えたい。
前進したいと思っている。

でも、たぶん出来ないと思う。
マジで何もしてない。(汗)
ヤバイ。
年が明けたら・・・28になる。
げ!
いいんだろうか?
ぐは!
いいわけない少しでも進まなければ・・・・。

同じことの繰り返し。
ここ10年くらいずーっと止まっていた。
ネットをしだして少し変わると思ったが。
何も変わらない。
電話代が増えただけ(汗)

後、10日計画的に過ごそうと思う。
っていっても、たぶん、だらだらしていると思うんだけど。
今年もだめだめな一年だった。

って・・・・変な日記になった。(汗)

眼鏡、眼鏡

はう。
日記書かないと永遠に書かなくなってしまうので。
今、少しでも書いておこうっと。
ってことで日曜日の話し。

って、何していたんだっけ?
うーん。思いだせん。(汗)

あ、親の買い物に行くための運転手やってた。
あ、財布買った。
スリにあって以来、持っていなかった財布をさきほど買いました。
1000円なり♪~
あ、それと眼鏡買いました。
あれは、そう。
4月頃のお話。
タイに行った時。
パイ行きのバスの中で・・・・。
小さいバスだった。
ぎゅうぎゅう詰で西洋人ばっかりのバスの中で・・・。
うとうとしていて意識がもうろうとしていた時に・・・。
そう。
コトンっていう音だけが私の耳に残っているんです。
今でもです。
それ以来、私の眼鏡が見当たらなくなったのです。
たぶん、きっと、今でもあの小さなバスの中に私の眼鏡が転がっていると思うんです。

パイという街は、チェンマイからメー・ホーンソンに行く途中にある街で・・・。
メー・ホーンソンは通称首長の街で、といっても首長族が住んでいる街ではないのですが。
この街から車まで1時間のところに首長の街があるんですって。
みんなこの町で原付を借りて行ったらしいです。
場所が分らなければ地元の人に「ロングネック、ロングネック」と言えば、場所教えてくれたらしいです。

ってどうでもいい話しですね。
そのメー・ホーソンにバスで行くルートが二つありまして、ホート、メーサリアン経由とパイ経由ってのが
あるんです。
普通はホート、メーサリアン経由で行くのが普通らしいです。
そっち経由のほうがバスの本数も多いですしバスも大型ですしね。
パイ経由は小型でオンボロひどい道。揺られること4時間でつきます。

このパイ経由(北回りルート)の道は第二次世界大戦末期の日本軍がミャンマーからの敗戦ルートに
使った道で、何千人もの日本兵が疲労と風土病で行軍中に命を落とした難所だけあって、凄いひどい道でした。
小型バスがやっと通れるかという道で、高低の差が大きく、酔いも激しく私は一泊二日で帰って来たん
だけどそういう強行軍はやめたほうがいいと思いました。
あと、その街にアーミーの訓練所みたいなのがあるんですけど、そこで写真を取ろうとすると恐いお兄さ
んが近寄ってきていちゃもんをつけられるので気をつけましょう。
天然温泉はただです。
適当なところで入りましょう。気持ちいいです。
原付は無免でもここなら車もほとんど通っていませんので快適なツーリングが楽しめます。
でも、道は凸凹でたまにコケます。
YOSHIKIは偉大です。こんな片田舎の子供でも知っていました。
たいてい日本人を見るとなんでしょうけど、「ヨシキ!ヨシキ!」と声をかけてきます。
最初わけわかりませんでした。

パイの街は雰囲気はよく良い街だったんですけどね。
っていっても日本人一人もいなかったけど、ほとんど西洋人でした。
まあ、ここは日本のガイドブックに載っていないのでしょうがないですけどねえ。

って私は何を書いているんでしょう。
今になって・・・・(汗)
眼鏡をなくして8ヶ月目にしてようやく買ったって話だよ。
もう、視力が落ちて全く見えないんだよ!
夜の運転なんて恐くて出来ない!
ビデオの字幕が読めない!
この前久しぶりにゲームをしようと思ったら、字が読めなくてやめたんだ!
もう限界なのさ!

ってことで買ったけど、出来るのに1日かかると言われた。
っていっても仕事があるからすぐに取りに行けるわけもなく。
今週末にでも取りに行こうと思ってます。
ふぅ。

つまんない日記をまた書いてしまった。
自己嫌悪。

ちゃららん

ちゃららんらんらん
らんらんりゃららん。

今日も朝から親に起こされた。
頭は痛いし、髪ボサボザ
寝起きのまま10分で着替えて家を出た。
原チャで凍てつくような寒さを頬に受け
ひたすら走る!走る!
坂を一気に駆け下りるのだ!
狭い道を一気に駆け下りるのだ!

原チャを止めて駅まで走る!
改札通ってホームまでダッシュ!
そしてかるーく一服するのさ。
ふぅ。
-y(^o^)..oO○ぷふぁ~うめぇ~

電車が来たらいつもの場所に立つ。
そしたらいつもの時間に頭がクラクラと揺れ出す。
そしたら体もユラユラと揺れ出すのさ。
もう限界。
呼吸困難。
酸素が薄い。
エサを欲しがる鯉のように。
口をパクパクし始め
倒れる前に途中下車をしたのさ!
駅で降りると、すぐにしゃがみ込む。
ホームを出て行く電車が空ろな目で確認しながら。

空気を胸いっぱいに吸い込んだら。
吸い込んだら、やっと体が回復していくのさ。
元気になったら次の電車へ乗り込むのさ。

毎日毎日、こんなことの繰り返し。
だから、いつも早くに家を出ないと毎日遅刻するはめになるのだ。
だから、いつも私は早めに家を出るのだよ。

ちゃんらんちゃらんらん
ちゃんらんらんちゃんら♪~

閉塞状態

風邪まだ治らない。
心の中も曇ったままだ。
自分にはいいことなんて何もない。
これからも・・・・。
今はかなり末期的状態である。
どうしたらいいのか分らないんだよ。

ふぅ。
で、急に忘年会が決まりました。
そして行ってきました。
ふぅ。

あーあー。
なんなんだろうね。
全然楽しくないや。
何が楽しいんだろうね。
あんなの。
気分が悪いだけさ。
途中で煙草切れたし。
小銭も切れて煙草買えなくて。
もう、途中からずーっと気分が悪かった。
誰か早くお開きにしましょうって言ってくれないかなーって
ずーっと思ってた。

ふぅ。
ぷろふぃーる
名前:くらげ
1974年生まれ
無能な無職だめ人間
年収と貯金からみる経歴
「進撃の無職」早見ページ
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