船上で軍艦島が見えた瞬間からテンション上がりまくり!
シャッター押しまくり!
つうか撮ってて楽しい!
写真の出来うんぬんよりも。。
撮ってるだけで楽しい!!
新しくレンズ買ってよかった!
パソコン買う金でレンズ買ってよかった!
すっげぇ!楽しい!!



軍艦島上陸できるからといって。
行ける場所はごく一部。
写真の右の方にある建物が端島小中学校。
ここは小中一貫校で今でこそよくありますけど。
小中一貫校のはしりだったそうです。
で、この手前にドルフィン桟橋があるんだけど。
桟橋に船を近づけて紐をくくりつけて固定して島に渡るんですよ。
なので波があらい時は上陸できないとのこと。
一年間で100日くらいしか上陸出来ないんだってさ。
あと桟橋(島の入り口)は内海側にあるんです。長崎側に。
内海の方が外海に比べて波が荒くない為だそうです。
炭鉱施設も内海側にあります。
大事だから。
逆に住居は外海側にあります。
全然、大事じゃないから。
波が荒れて大事な炭鉱を住居であるマンション群が守る防波堤の役割をしていたそうです。人命よりも炭鉱。



上にある建物が3号館。
幹部用、身分のエライ人達が住んでいたマンション。
左の方に貯水槽があり船で水を運んでいったん貯水槽に貯めて水を使います。
この島では水は貴重なものという事になります。
3号館には全て風呂がついていますが他のマンションには風呂はついておらず共用風呂となっています。

軍艦島は元々は今の3分の1の大きさの島だったんです。
ここで石炭がとれて人が移り住み。
そのうちどんどんと人工的に埋め立てていくうちに今の形となったわけです。
軍艦島。。。
天然の島の上に人工的なものが作られてあのような形になったわけではなく。島の大部分が人工的なものだったんですね。なんか。。。



ここは炭鉱関連施設跡だったと思う。
いい具合に崩れております。
この時期には建築基準法とかなかった為に。。。
建っているマンションとかも必要以上に柱に鉄骨を入れていまして。
なのでなかなか崩壊するって事がないんだって。
頑丈に作ってるってことですかね。
耐震強度偽装マンションとかとはレベルが違うってこと。
この軍艦島は1974年1月15日に炭鉱が閉山になってるんよ。
私の生年月日は1974年1月12日。
軍艦島が無人島になったのは1974年4月20日。
なのでちょうど無人島になって36年たったわけだ。
36年たってもしっかり建ってる。



ここは事務所跡。
軍艦島の人々の暮らしなんだけど。
稼いでいたらしいです。
その当時の一般的な給料の三倍を手にしていたらしいですから。
今だったら年収1000万以上あったとかそのレベルだったんでしょうね。三種の神器であるテレビ、洗濯機、冷蔵庫の日本の家庭の普及率が20%だった頃、この軍艦島では100%だったそうです。



で船で帰る。。。
船尾に参加者が集まり。。。
カメラのシャッターおしまくり!
取り憑かれたように撮りまくり!
私も負けずに撮りまくる。
この写真が一番、軍艦っぽいかな。



その後、丸山・思案橋方面にいく。
桃太呂のぶたまんを頬張りつつ街を歩いたわけなんだけど。
またテンション下がりまくり。。。
はぁ。。。なんなんだこれ。
旅とか向いてないのかなと思ってみたり。
しかし。。。ここって自転車乗っている人いないよな。
崇福寺によって有名な眼鏡橋へ。



なにこれ。。。
なんか凄くむなしかった。
きっちんせいじでトルコライスを食べる。
正直、微妙。
夜中もぶらぶらしてネカフェで一泊した。
あと夜中に平和公園も行ったんだけどさ。
驚いたんだけどホームレスとかいないね。
ああいう公園とかあったらさ。
何十人単位でホームレスが住んでいてもおかしくないのに。
不思議と一人もいなかったです。
もしかしたら長崎にはいないのかもしれん。